はな花です。
HSP気質の特性か、ただただ私の性格なのかはわかりませんが、
何のせいにして怒りを感じる
ことに、苦手意識を持っていました。
どんなことが起こっても、
「あの人にも事情があったはずだ…」
「こうなってしまったのも、私に非があったのでは…」
と意識し直して、なるべく怒りを感じないようにしてきたんです。
自分に自信がなく、自己否定の塊だったせいもありますが、
寛大な良い人になりたくて…
でも最近、変に良い人・理解のある寛大な人になろうとせずに
いったん思いっきり怒りを感じてしまったほうが、生きやすくなるような気がしています。
目次
相手の立場になって考えられる、寛大な良い人になりたくて。
誰かを責めたり、人のせいにするのは良くないと思っていた
私は昔から、いつでも穏やかで優しくて、相手を思いやれる人間を目指してきました。
自分のなかに、誰かを責めたり否定するような気持ちがあるのは心地よくないし、
「してはいけないこと、みっともないこと」としてきたように思います。
そのため、誰かを責めるような言葉を言ったり、誰かのせいにして恨むようなことは
穏やかで優しい理想の自分とはかけ離れているので、そういう考えは見ないようにしてきました。
自分は「相手の立場になって考えられると人間なんだ」と思いたい
もう一つ、自分は相手の立場になって考えられる素敵な人間なんだ!と思いたい…
という気持ちもありました(笑)
穏やかで優しい人を目指してきたので、小さい頃から「いつも優しいね」と言ってもらえることは多かったように思うのですが、
自分でも、「私って、相手の立場にたって、思いやりを持てる人間なんだぞ~」と思いたい…!
そんな、ちょっと自意識過剰な気持ちもありました。
自分がすべて悪かったと考えることで、悲劇のヒロインになれた
悲しいことがあったとき、イライラしたとき、
意識を相手に向けるより、自分に向けて悲劇のヒロインになりきるようなクセがありました。
「私が悪いんでしょ…ぐずん!」みたいな気持ちを常に持っていたので、
自分を責める→悲劇のヒロインに浸るを繰り返していたように思います…(^_^;)
思いっきり怒りを感じることで、見えてきたもの
私は30代に入って転職したんですが、上司から、仕事の出来とは関係ないことで色々と言われる日々が続いて
悲しさや怒りを抑えていました。
こんなこと言われるのは、私がダメな人間だから。
上司だって、ノルマとか責任とか私生活も色々あるのかもしれない…
そう考えようとしたんですが、どうにもこうにも気持ちを落ち着かせることは出来ず…
ある日、
「もういっそ、思いっきり上司を否定して、嫌なところを書きなぐってやる!」と考えて、ノートに書きました。
その時、不自然に寛大な良い人を演じたり、
自分の気持ちも消化出来ていない状態で相手の立場にたつことは、とても難しいと思ったんです。
寛大な良い人が、怒りを感じないわけでない
私が目指していた「寛大な良い人」は、怒りを感じないような人でした。
しかし、それはとても不自然だということがわかったんです。
悲しさや怒りが出ているのに、それを無かったことには出来ません。
自分の気持ちを無視して人に寄り添おうとするなんて、とても不自然。
他者にとって寛大な良い人を目指すあまり、自分の気持ちには全然寛大ではありませんでした…
自分のなかにある、尊重されたい気持ちに気がついた
無理に相手の立場や気持ちを尊重しようとしたり、こんな自分が悪いんだ…と思うことは
自分のことを尊重出来ていない…と思いました。
私の中にも、悲しさや怒りを感じていることを尊重してほしい自分がいる…
自分か相手どちらかではなく、どちらも尊重していきたいと思いました。
怒りは思いっきり感じて、相手も自分も尊重していこう
いつでも穏やかで優しくて、寛大な良い人。
それを目指して、他者への怒りは感じないようにしてきました。
でも、自分の気持ちを無視して相手に寄り添おうとするのって、とても不自然で苦しいことだと気がつきました。
怒りはいったん、感じるままに受け入れて、
もうこれ以上は出てこない!というところまで感じきった状態になってから
相手の立場をイメージしてみる。
「相手にも色々あったのかもしれないな」と思いやれる日もあれば
「いやいや、相手のことなんか知るかー!」としか思えない日もあると思います。
私を傷つけるなぁぁぁ!
どう感じても、自分の気持ちを否定せず受け入れていくことが、
本当の意味で相手にも優しくできるし、寛大な良い人なのかもしれない…と思います(´ω`)